震災から約3ヵ月後のボランティア報告
2010/6/4~10まで都民ボランティア11期として行ってきました。
行く前はブログに書くつもりは無かったんですが
1回目と2回目とでは印象が違ったので記録を残したいと思います。
1回目の記事はこちら
写真を撮りたかったけれども、以前と同様に都民ボランティアの方針で、写真は一切禁止。
ぐっと我慢してました。
被災地の状況を伝えるのには写真が一番有効だと思うのだけれども。。。
ちなみに
震災時と三ヶ月を比較したサイトです。
<a href="">Japan tsunami and earthquake: Pictures of recovery 3 months later</a>
ここで
都民ボランティアについての動画をご覧下さい。
都民ボランティア 第1陣63人が宮城に向け出発
都民ボランティア 第1陣63人が宮城に向け出発 - YouTube
東京都 個人ボランティアを被災地へ派遣この都民ボランティア
始まった当初は応募者が殺到したそうですが
最近は少なくなっているそうです。
もし、参加されたい方は
をチェックしてみて下さい。
もうすぐ15期の募集が始まると思います。
ちなみに17期で終了予定だそうです。
<hr>
2011/6/4
作業内容(1日目):移動
東京から出発してバスで8時間かけて移動。
総勢約80名で1班4~5人
一関組(約60名)と大島組(約20名)に分かれて活動
自分は一関組でした。
大島の環境は大変と色々と話を聞きましたが
自分が直接体験した事ではないので、ここでは書けないです。
m(_ _)m
この日は移動だけで終了。
同じ班の人で5人中にボランティア経験者が3人いまして
自分を含めてリピーターが多いのを感じました。
- 2011/6/5
作業内容(2日目):陸前高田の個人宅にて
約一ヶ月ぶりに陸前高田に来ましたが
あんまり変わっていないかなという印象でした。
瓦礫の山から草が生えていたのが、なんともアンバランスな光景でした。
さてさて
作業内容は陸前高田VC(VC:ボランティアセンターの略)で割り振られます。
他の班と2班合同で個人宅での作業
作業としては
●津波で使えなくなった電化製品、畳、布団をすぐ近くの空き地に移動
●家の中の家具を移動
畳を運ぶ時に、一部が腐っていて
持ち上げると、崩れてしまい運ぶのが一苦労しました。
家電を運ぶ時に、二人一組で
50インチもあろうかという大型テレビを持ち上げる時に
すぐ近くに家のご主人がいらしたのですが
他のボランティアの人が、ふと口にした言葉が
「液晶テレビもったいないですねぇ~」
「・・・」
ご主人は無言でした。
ってご主人はどう思っただろう?
個人的には言わない方が良かったのに・・・と思いました。
あと、家具を運び、仏壇を戻した時に
「三ヶ月ぶりに戻ったぁ~。長かったなぁ~。」
という家の人の言葉が印象的でした。
この個人宅での作業は午前中で終了
午後からは別の家に移動。
ボランティアの作業も最優先されてきた
家の瓦礫撤去から
畑の瓦礫撤去へとシフトしているみたいで
初めて畑の瓦礫撤去をしました。
この場所では午前中から別チーム5人が作業していて
それに10人が加わるという形。
そこで偶然の再会!
以前、都民ボランティア7期で一緒に活動していた人と遭遇しました。
今回は友人と一緒に個人的に来ているそうで、凄いなぁと関心。。。
畑の瓦礫撤去は今までの個人宅の瓦礫撤去とは内容というか色々と変わりまして
面積が広い。
泥に足が取られて、移動するのが多少つらい。
色々な物が散乱していて、中には魚の死体などにおいのきつい物がある。
畑の瓦礫の中で飛び抜けて大きいのが
鉄筋の支柱が知恵の輪みたいに絡み合ってて
これがなかなかの強敵でした。
というか
バールでどんなに頑張っても解体出来ず。
「これは人の力では解体出来ないよねぇ~」
って雰囲気になった時に
新たなボランティア団体30人ぐらいが参加してくれまして、
これが外国人チーム!で体つきが違うんですよねぇ。
さっきの鉄筋の知恵の輪も
いとも簡単に解いてくれて撤去終了。
「俺ら日本人って一体・・・」って軽く落ち込みました。
○| ̄|_
あ、あと外国人の女性はスッゲーキレイでした。
- 2011/6/6
作業内容(3日目):個人宅にて瓦礫撤去
この日も瓦礫撤去。
80歳?90歳?のおばあちゃんが依頼主で
作業の途中でいなくなり困っていたんですが
すぐそばの山から降りてきてビックリしました。
話を聞くと
「20分かけて山を登ったキャンプ場にある風呂に入ってきたの。
一週間に一度しかないから大変なのよ。」
と言っておられました。
まだまだ被災地は大変な状況のようです。
ここでの作業は一日では終える事が出来ずに
「また来て下さいね。」
と言われた時には嬉しかったです。
- 2011/6/7
残念ながら昨日のお宅とは別の場所に派遣されまして
家の脇道に積まれた壁の瓦礫の山を土のう袋にひたすら詰める作業。
ただひたすら土のう袋に詰めました。
400袋では足りず
追加で何枚追加したかな?
忘れました。
このお宅にはおじいちゃんがいまして
「チリ津波も経験したけど、ここまで酷くなかった」
と言っておられました。
作業を終えて、帰る途中で道を間違えまして
一度も通った事が無い一本松の所へ
【地震】枯れ始めた「奇跡の一本松」に保全作業(11/05/28) - YouTube
この付近は今までとは雰囲気がまた
ガラっと変わっていまして
今までは2、3メートル程度の瓦礫の山がいたる所にあったんですが
瓦礫の山が大きい、高さはビルの4階ぐらい。
(上のYouTubeの0:20付近で右後ろにうっすら2つほど写ってます。)
最初に受けた印象は
ナウシカの王蟲(オウム)みたいでした。
目玉とかはもちろん無いんですが
ものすごい大きさに唖然としてました。
- 2011/6/8
作業内容(5日目):大島にて個人宅にてテント設営と荷物運び
この日は活動場所が変わりまして大島へ。
気仙沼からフェリーに乗って大島まで20分程度で到着するのですが
漁港には
なんともいえない【におい】+ハエがたくさん。
【震災】漁業の町にハエ大発生 手作りわなで退治(11/06/15) - YouTube
大島に到着したら
船が二隻ほど「どーん」と陸地に打ち上げられてて
衝撃的な風景でした。
そしてハエが大量にいました。
きっと人生で経験した中では最もハエの量が多かったかと
ここで初めて大島組と一緒に活動するんですが、ドイツ人の女性。Nちゃん。
日本語ぺらぺら。
瓦礫撤去などをしていると
「男の人~。重いものあるから手伝って~。」
とよく言うのですが
「男の人だって力無い人いるしさ~。女の人だって力ある人がいるんだから
そういうのは良くない!」とNちゃんが言ってました。
ま、確かにそうだよなぁ。と
そうそう話がずれるんですが
ボランティアに来る外国人の方々って
風呂上がりにノートパソコン開いて何かやってたり
VCで待っている間にAmazonのKindleを取り出して何か見てたりと
ITを使ってるイメージが植え付けられました。
そして本当に感謝。
あの人たちかっこいいわ。
- 2011/6/9
作業内容(6日目):旅館の壁についた泥を拭く。
活動場所は気仙沼の漁港から近い旅館
別のボランティアが既に作業を終えていて
一通りはキレイになっていました。
津波で一階が被害にあったそうで
天井やら壁に泥が付着してて、その拭き取り作業
もちろん天井には届かないので
脚立に乗って天井を吹いてました。
作業を終えて、帰る時に宿のご主人に
「色々な方々にボランティアに来て頂いて、おかげさまで、宿がキレイになって・・・
生きる気力が湧きました。どうもありがとうございます。」
とお辞儀を深々とされて、
(´;ω;`) ブワッ
と泣きそうになりました。
- 2011/6/10
作業内容(7日目):移動+打ち上げ
宿の掃除などを終えて
バスで8時間かけて東京へ
都庁で解散!
ボランティア仲間で打ち上げとなった訳ですが
80人中、30人弱、集まりまして
金曜日の夜って事もあり、居酒屋が空いているか不安でしたが
運良く見つけました。
自分が・・・
居酒屋の場所を見つけたので
自動的に、幹事決定!
幹事は慣れているけれども
30人の半分以上は顔と名前が一致しない。。。
でも、まぁなんとかなるかと軽い気持ちでやってました。
居酒屋に入って
最初の挨拶では
ビールが早く飲みたかったので
「え~。一週間ボランティア活動お疲れ様でしたー。乾杯!」
と手短かに言って一週間ぶりのビールをグビっと頂きました。
大島組(ボランティア期間ずっと大島にいたチーム)は
「生の食材だ~」
「食べる時にハエがいない~」
って・・・どんな過酷な生活してたんだか
頭が下がります。
隣の部屋で飲んでたサラリーマン風のおじさんが
「いやぁねぇ。私の実家が東北なんだよ。あんたら偉いわぁ。」
とか言って下さって
さっきの挨拶の声が大きかったのと、全員の荷物が大きいので
ボランティアに行ってきた帰りだと分かったようです。
最初は断っていましたが、断りきれる雰囲気ではなく
一部料金を奢って頂いてしまいました。
m( _ _ )m
この飲み会で、実は高校の同級生がいた事が判明!
高校の時の緑ジャージを見かけたんですが
まさかね~。ビックリしました。
リンク集
都民ボランティアとして気仙沼・陸前高田で活動してきた
http://blogs.yahoo.co.jp/shohei_tokyo_1980/34754928.html